遠距離介護とゴミ屋敷問題

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

的を射るVS的を得る

たまたま国語辞典の編纂現場というのをテレビでやっていて、これまでずっと「的を得る」が正解だと思っていたのに「的を射る」が正しいらしいと知りました。

 

しかし的を得るが使われる場面が多く、こちらを辞書に掲載するかどうか偉い人たちが会議をしているのでした。

 

知らない言葉を調べるのは昔は辞書で今は検索でしょうけれど、紙の辞書の信頼性はまだまだ高いと思います。

 

そこにたった一行こういう使い方もありなんだよと加えることに、これほどの労力を要するのかと驚きました。

 

編纂委員の方はいまどきの若者が使う流行り言葉にも敏感で、常に掲示板やSNSをチェックしているのでした。

 

そして疑問に感じた言葉はいったいいつから、誰がどんな場面で使いはじめたのか古文書に近いぐらいのルーツにまで辿りつく努力をしていました。

 

裏付けが取れなければ掲載できないということなんですね。

 

時代によって言葉は変化していきます。

 

現代では理解できないから古文の授業があるわけで、いつ頃からあのような文字や話し方がされなくなったのかわかりませんが、知るとなんとも奥ゆかしいような雅な気分に浸れます。

 

私が漢文に惹かれるのも、今では使われない言葉や言い回しなのにもかかわらず、感情は現代人となんら変わらなく似たような悩みや苦しさを表現しているからかもしれません。

 

今朝、慌てて食器を処分

実家がゴミ屋敷のまま東日本大震災で被災したので、そこから片付けスイッチが入りました。

 

なんじゅう年も溜め込まれたモノを出すだけで疲労困憊。毎月新幹線で通い介護と並行しながら4年の歳月を費やしました。

 

ライフスタイルが変化したのに昭和の価値観のまま年齢を重ねた親を説き伏せるのに一苦労。

 

魔窟からわけのわからない生活用品を引っ張り出すだけでヘロヘロ。

 

田舎のリサイクル屋さんは電話一本ですぐ来てくれないうえ、処分費用がもったいないからと自治体の業者さんを頼めとか文句と執着タラタラ。

 

引き取り日まで滞在できず千葉へ戻ると、勝手にキャンセルされて元の場所に戻されてるとか日常茶飯事。

 

あげく母が救急車を呼んでもゴミ屋敷すぎて担架を出せず、裏窓から搬出する始末。

 

救急隊員さんの前であれは本当に恥ずかしかった。

 

家も庭も広いのになんで搬送できないの⁇っていう。

 

無駄な葛藤で多くの時間をロスしましたが、バリアフリー改修までこぎつけ、車椅子で室内移動できるようになりました。

 

しかし我がことはいつも後回し。疲れて片付けもできていなかったので今朝、高い場所にしまっていた食器を処分しました。

 

少しだけスッキリしました。

大家さん的地震発生時の対応を再確認 連絡手段を持たないのは助からないのと同じと心得よ

実家でピアノ教室をやっています。

 

私が滞在中であれば地震発生時も対応できますが、千葉の自宅にいるとどうにもなりません。

 

今朝すぐに管理会社の担当さんに連絡して、緊急時の対応方法、避難経路を貼り出す等の対策を確認し保護者さん講師さんらと情報共有する運びになりました。

 

担当さんは先日頼りないメンズに変わったばかりでLINEの使い方がわからないという有様で、こういうとき非常に困るのです。

 

会社としても業務端末を与えているのですから、きちんと指導してほしいものです。

 

多くの生徒さんをお預かりしているのですから「わからない」では済まないのでは?

 

前の担当さんはそこのところきちんとしていますが、部署が変わってまで私の教室の面倒を見きれないでしょう。

 

上司の方にも連絡しておきましたが、在宅介護しながら教室管理が疎かだっただけに、なんだか軽く見られているような気がします。

 

実家は東日本大震災の被災地です。

 

当時、固定電話は繋がらず携帯も持たない両親と4日間連絡が取れず生存確認できませんでした。

 

その後、父は80の手習いですらすらメールを打てるようになり、認知症の母の介護を毎日連絡できるようになりました。亡くなる3時間前まで私とメールしていました。

 

何度も繰り返ししつこく発信してますが「携帯なんていらない、覚えるの面倒だしかける相手もいないし」という人々にひとこと。

 

命が惜しければなにかしらの連絡手段を持ちなさい。あなたがよくてもこちらは迷惑ですから。

この感覚は私だけなの?

父がいなくなっても悲しさは殆どなくて、姿は見えないけれどいつも一緒にいる感覚なのです。

 

人に話すと驚かれるのですがこれはどういうことなのでしょうか。

 

もうこの世での互いの役割は済んだということなのか、だいたいの考え方は把握しているからなのか。

 

母の介護を含め今後の生き方、いずれ家を手放すとか墓じまいをするなどさほど迷いはありません。

 

生きている頃に徹底して話し合ったわけでもありませんが、そうなっていく予測のつくものはそのタイミングで着手していくだけだと思います。

 

自分がご先祖様に悪いことをしているとか疚しいなどといった意識はありません。

 

それもこれも、おそらく自分の限界値を超えて実家の片付けや遠距離介護をし父を見送り、もうやりきった感でいっぱいだからかもしれません。

 

 

受講生さんから有難いフィードバック

漢方講座ではリピーターさんが多く、いまだ収束点の定まらない私の話を通しで聴きに来てくれて本当に有難い限りです。

 

講義後に「有名な漢方薬局さんからお試しにエキス剤を取り寄せて飲んでます」とか「置き鍼してます」とか「ドラッグストアで購入したものがぴったり合ってました」

 

はては「実家が仙台なんですがお近くですか?」などなど、遠距離介護の先輩や介護職の人までいるという環境です。

 

受講生さんのお話しは私にとっても非常に参考になり、クリニックやドラッグストアで漢方薬を手に取り悩みながら服用し、効果がはっきりしないなりに興味を持ってくれているのだと理解できます。

 

実は「証」(しょう・体質)がストライクゾーンでないと、なかなか効果が現れにくいので講座では毎回繰り返し説明します。

 

アンケートも記載していただき、密かに私のTwitterがフォローされていると知ったり(迂闊な発信できないわ笑)、殆どが女性なので更年期特有の悩みなど共感ポイントを見つけてもらえたようです。

 

私は遠距離介護、実家のバリアフリー化、ピアノ教室の立て直し、ヨガインストラクターの養成講座や更年期が重なり様々なツールに助けてもらいました。

 

振り返れば、なにかに頼らなければとてもこなせない実務量でした。

 

いつも漢方はオーダーメイドで人それぞれ皆んな違うのだ、とお話ししています。

 

置かれた立場は違っても健やかに過ごしたくて受講してくれるのですから、理解しやすいよう組み立てて話す工夫をしています。

 

本音は毎月の講座内容を考えながら介護帰省するのが若干ストレスなのですが、話すことでの気づきも多くとても励みになっています。

 

このような機会がなければ理解できていなかった部分も不明だったわけです。

 

最初はちょっと無謀なオファーと思っていましたが、これまで私を助けてくれたツールや体験をシェアしていければと考えています。