遠距離介護とゴミ屋敷問題

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

抑圧されたまま生きるのは辛すぎる

先日ある人とお喋りしていて、幼少期に躾と称する暴力を受けたことが未だにトラウマで両親と和解できないという話題になりました。

 

あれ、それ私も思い当たる節があるけど?

 

母は今でこそああですが高校生ぐらいまで私をグーで殴ってました(笑)って、それは私に非があるの?

 

私が父からなにかで咎められても庇うでもなく2人で責め立てる。こりゃ敵わんわ。

 

子供の逃げ場を取り上げてはいけないでしょう。

 

いつの頃からか本音を話さない、上辺だけの関係性になっていきました。

 

上手くいっている他所の家庭が羨ましかったなぁ。

 

そしてさりげなく距離を置きつつ、物理的にも心理的にもどんどん離れていきました。

 

当時の自分にとって我が身を守る最善の策がそれでした。

 

私にべったり依存してくるくせ思い通りにしようという手口に我慢がならなかったのです。

 

どうやら本人たちはまったくの無自覚だったらしく呆れてモノも言えませんでした。

 

紆余曲折を経て母が認知症になり介護という現実に向き合わざるをえなくなり、立場が逆転したことで私の中の嫌な気持ちが少しずつ溶けていきました。

 

他者を攻撃せずにおれない人種というのは確実に存在します。

 

それが他人ならまだしも、実親ともなると離れるか相手が高齢になってこちらの言うことに従わざるをえなくなるのを待つしかないでしょう。

 

満たされない思いや不足感をなんとか埋めようと、友人や自分の家族に理解を求めて固執したところで思うような結果にはなりません。

 

時期がくるのを待つよりない

 

というと身も蓋もないのですが、それも1つの方法です。

 

冒頭の方は私と話して少し楽になったようでした。

 

相手から押し付けられた役割を演じる必要はない。

 

大人になっても抑圧され続けて自分の人生なんだったのだろうと言ってましたが、自ら抑圧されることを選んでいたかもしれないよ?視点を変えてみては?とお話ししました。

 

そろそろ自分で自分を解放して楽しく生きて欲しいものです。

 

生きているうちの和解が理想ですが、できない人もいますしね。

 

できなかったらそれはそれで仕方ないですね。

 

和解が必ずしも正解とも限りませんし、自分がどう生きたいかを大切にしたいですね。

 

私としたことが夏もスタッドレスで走っていた

実家は地方の田舎で車社会です。

 

電車もないですしタクシーに乗るのは高齢者ぐらい。バスも一本逃すと次までかなり待たなければなりません。

 

結局待つのが面倒なのと、住宅街の中まで停留所がないので車を手放す選択は難しいのです。

 

介護帰省で買い物や施設への往復、その他の用事で活躍してくれる私の足は春先に車検を受けたきりタイヤ交換を忘れていました。

 

私としたことが。

 

この夏、人から指摘されるまでまったく気づきませんでした。

 

もうそれどころじゃなかったんですね。

 

歳のせいなのか最近いろいろなことが抜け落ちています。

 

以前ならそんなことは殆どなかったのですが、近頃ささいな物忘れがあります。

 

もしかしたら遺伝でアルツハイマーが始まっているのかしら?と不安になります。

動揺すると食べ物の味がわからない

おそらく私だけではないと思います。

 

しょっちゅう母の施設から連絡があり、母の体調次第でどうにもできない相談をされると「このまま母もいなくなってしまうのではないか」と思うあまり一気に食欲が失せます。

 

ついでに味もわからなくなります。

 

いずれそういう日がくることは覚悟のうえですが、様々な事務手続きがまだ済んでいない今はやめて〜というのが本音です。

 

同じ年の2月と10月に祖父母が相次いで他界し、その手続きで消耗する両親を見ていて大変さが容易に想像できるから尚更です。

 

母にとってはこちらの都合など関係ないですがね。

 

毎回、叔母に通院の付き添いを頼むのも気が引けますし、かといって連絡が来るたびに帰省していたら時間的にも経済的にもかなりな負担です。

 

施設としては責任の所在をはっきりさせておきたいでしょう。

 

しかし命に関わるほどでもない状況での呼び出しには都度対応できかねます。

 

電話での説明は想像するしかないので、おそらく無事だろうという予想のうえ念のため帰省するという感じです。

 

私がなかなか予定を入れられないのも、いつでも対応できるよう本能で動いているからかもしれません。

 

それにしても味のわからない食事は寂しいものです。

母の粋な取り計らい?

お盆の数日前から母が発熱し寝汗をかき、ほっぺたが真っ赤になって食べ物も水分も取れなくなりました。

 

私の帰省に合わせたのか、施設からまた連絡が入り「再度、受診しますがこれますか?」って。

 

ちょうど実家でお盆の準備をしていたところでした。

 

あ、またいつものシンクロだ。

 

休日だけど午後から診てもらえるから病院で待ち合わせしましょうということになり、待合室にいるとストレッチャーで母が運ばれてきました。

 

やはりほっぺたが赤く手が熱くなっています。

 

診察室で採血しすぐ点滴してもらい、付き添いのナースとお喋りしていると白血球の値が高くリンゴ病という診断でした。

 

点滴を始めるとわりとすぐに自力で咳き込んだり、いびきをかいたり、寝言を言ったり、頬の赤みまで薄れてきてみるみる良くなっていきました。

 

そのうえ当直医は父の検死をしてくれた方で、休日しかいませんからこれまでずっとお会いできずにいました。

 

こんな場面でご挨拶できるなんて。

 

「あ、そういえばお父さんに似てるねぇ」

 

リップサービスでも嬉しいですよ(笑)

 

私もずっと懸案事項だったことが解決できて、母の状態もよくなって安心しました。

 

いつも不思議なタイミングで物事が進むので、今回も検死医にご挨拶をしたかった私の意向を母が汲んでくれたものと思うことにします。

 

しかしお盆準備と母の緊急付き添いはメンタル的に非常にキツいです。

 

初盆の支度で右往左往

去年まではおおよそのことは父に任せていましたからね。

 

また今年も同じようにお願いしておけば、私は仏壇周りの掃除やお盆あとの片付けぐらいすればいいやと踏んでいました。

 

しかし現実は違いました。

 

その父がもういないのですから、叔母に手伝ってもらいながら慣れない提灯の組み立てから始めなければなりません。

 

住職がいつも何日のなんじにくるかまで決まっていたとは知りませんでした。

 

自宅から訪問日を確認して帰省の段取りをして、お盆期間中に司法書士さんや税理士さんとの打ち合わせも入っています。

 

そのうえ秋のお彼岸と一周忌法要の相談もあります。

 

あれ、私大丈夫かな?

 

いつも帰省のあいだに多くの用事をこなさなければならず、そこにコミットしたいがために日頃の生活はいい加減もいいところです。

 

自分のことも大事ですが命に関わることが優先されますから、己を置き去りにしてしまうことも多々あります。

 

今年の実家が朝夕だけでも過ごしやすい気候なのがせめてもの救いです。