遠距離介護とゴミ屋敷問題

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

不在郵便物のゆくえ

大事な郵便物を局止めにしてほしいと連絡したら、住民票のあるご家族の委任状が必要ですという判で押したような解答が。

 

認知症の母は字が書けないし、事情が理解できないし、ずっとお泊りサービスだしどうせえと。

 

私がいつもいるわけじゃないし、まぁ田舎だから大丈夫だけど、こういうことで何度も電話でやり取りしたり管轄局へ出向いたりしても徒労でしかないのが現実。

 

まだまだ杓子定規なルールばかりで、認知症で家族に先立たれた人の処遇なんて想定されてない。

 

今日は父の携帯の解約をして母の福祉用具を回収してもらって固定資産税の残りを支払って、葬儀費用の支払いを済ませました。

 

出掛けるときは「〇〇の件で出掛けてくるね」

帰宅時「こうだったよ〜」

 

以前となにも変わらないやり取りをしています。

 

もちろん返事はありません。

 

でも見守られてる感がいつもあります。なぜなんだろう。

 

生活の途中で姿だけが急になくなって、お風呂上がりに着る予定のパジャマや肌着はきちんと準備されていたし、洗濯機の中には脱水終わりの洗濯ものがありました。

 

冷蔵庫にはデイサービス帰りに母が飲むヤクルトが用意されていて、灯油タンクには次回配達して欲しい日のメッセージが貼り付けてありました。

 

神隠しなのかなぁ。

 

 

また不思議なシンクロが

もともとの帰省予定の12日がお通夜になった。その日は父の母親の誕生日だった。翌13日が葬儀で私の母の誕生日だった。

 

私のネイルサロンの予約が10日になっていた。ジェルを落としてから葬儀に行けるような段取りが組まれていた⁈

 

父は亡くなる前日に散髪に行っていた。

 

父の妹夫婦が12日に立ち寄ろうとしていた。

 

友人が12日父に電話をしようとしていた。

 

お盆に読経に来てもらったとき、父は住職に生前に戒名をもらえないか相談していた。

 

通いのヘルパーさんに、なにかあったときの連絡先として叔母の電話番号を渡していた。(私も同席していた)お陰で警察の検死手続きがスムーズだった。

 

石材屋さんと葬儀社さんに手配をしようと思っていたら、石材屋さんが焼香に来てくれて仕事の話がそこで完結した。そこへ葬儀社さんから電話が来てすぐ位牌の打ち合わせになった。

 

投稿で知った仙台市内の友人が弔問に来てくれた。

 

先月、屋根の塗装をしてくれた職人さんにお礼がしたいと思っていたら焼香に来てくれて、その場でお礼ができた。

 

母の義歯がちょうど前の週に完成していたので、歯科医にお礼に伺えた。

 

迎え火のランタンを作ってくれた職人さんが、富士山とふるさとの山の形の寒天を作って訪問してくれた。

 

父の謄本を取りに行ったら字体間違いで一週間かかるといわれたのに、帰宅後すぐ役所から「できあがりました」と連絡があり司法書士事務所へ届けられた。

 

私から動かなくても連絡したい人があちらから来てくれる。それも絶妙なタイミングで。

 

数年前から不思議なシンクロがたびたび起きるので、もう流れに逆らわず抗わず作為せずに過ごしていこうと思いました。

 

生来の悲観的な気分にたびたび押しつぶされそうになりますが、現実はそう悲観する必要もなさそうです。

 

 

今日の雑務その他

金融機関に相続開始の告知をしに行きました。

 

必要書類の記入と私の本人確認証、父の謄本と公正証書遺言書の提出。

 

告知前はまだキャッシュカードで限度額まで下ろせますが、あとでなにに使ったぶんなのか葬儀費用の明細なり添付します。

 

金融機関が分散されていれば、その数だけ手続きが必要になります。

 

役所の保健福祉課で昼食宅配弁当の差額の返金を受け、未納分の後期高齢者保険料を収める。固定資産税四期分が未納なので後日支払いに行くことに。

 

父のお膳の惣菜を買って帰宅すると、今度は母の福祉用具のレンタル屋さんから回収に行きたいと連絡が。

 

もう自宅で暮らせないのに、いつでも帰れるように介護ベッドや車椅子をまだ置いておきたい気持ちがあります。

 

返却すると母の帰れる家ではなくなります。

 

しかし使わないのに借り続けると使用料が発生します。

 

入所の手続きもまだなのでケアマネから急かされています。

 

なんだかこういうことで泣きたくなるんだな。

 

有難い地元の友人達

お通夜のあとに控え室で休んでいたら、小学校からの同級生やピアノ教室の管理会社に勤務していた友人が訪ねてくれました。

 

あまりにも突然だったので、連絡が行き届いていませんでした。

 

同級生は「さっき看板見て知って‼︎」と慌てて駆けつけてくれました。

 

「こないだお父さん庭木の手入れしてたよね?うちの母も8月になくなってさ〜、うちのダンナ灯油配達で先週お父さんに挨拶したみたいよ」などの話を短いあいだにしました。

 

彼女のお母様はシルバーボランティアで、父の昼食宅配の配達をしてくれていました。二人ともいなくなり、もうお弁当のやり取りができなくなりました。

 

もう一人の彼女はグランドピアノを購入する際に相談に乗ってもらい、手配から納品までしてくれて個人的に遊びにも来てくれていました。

 

父なりに彼女の身の振り方など心配していたようです。

 

父の同級生から高校時代初めて庭球部を作ったのがお父さんだったんだよ、と聞かされました。ええっ知らなかった‼︎

 

幼稚園から一緒の友達のご両親は自宅から出棺するところに立ち会ってくれました。

 

SNSで知った友達は、イチヂク煮のお土産持参で焼香に来てくれました。

 

みんなみんな昔からの知り合いで優しい人たち。

 

私はそんな恵まれた環境を好まず、素の自分をあまり知る人のいない都会で暮らす時間が長くなっていました。

 

しかし。ふるさとの人たちは思う以上にお節介なぐらいに優しく私を気にかけてくれていました。

 

私は自分に初めから与えられていたものに気づけなかったようです。

 

いつでも戻れる場所を持っていること、何代も遡ったご先祖様同士がお付き合いのある関係性など、他人から羨ましいなどと言われる意味がわかりませんでした。

 

郷愁とも違う、皆んなが知り合いで安心して過ごせる頑張らなくてもいい場所。

 

それが私のベースにあるのですね。

 

 

 

この身体は借り物

檀家になっている寺院へ納骨やおつとめの打ち合わせに行きました。

 

夏に妙心寺の夏季講習会に参加した旨お話すると、やはり花園大学出身の住職との会話も弾みます。

 

座禅の時間は頓知の問いを考えるための時間らしいです。

 

犬に仏心はあるのか?

 

松島湾の海水をここで飲み干す方法は?

 

富士山をこよりで結べるか?

 

答えはあるともないともいえないようです。

 

修行一年ですぐ答えを出せる修行僧もいれば、十年がかりでもわからない修行僧もいるとか。

 

どの瞬間に悟るか人それぞれなようです。

 

葬儀のときは、我々の身体は借り物で父はそれを返却して魂だけになったのだというお話がありました。

 

以前からそのお話は聞いていて、だからなのか常に私に寄り添ってくれている感覚があるのかもしれません。

 

自宅と斎場で二晩添い寝しましたが、久しぶりに一緒に休めてよかったなぁと思いました。

 

脱け殻の父でしたが、まだ魂がそこここに感じられました。と勝手に思っています。

 

今まではご遺体と添い寝するなど怖いと思っていたのですが、広い自宅で二人きりで隣に布団を敷いてたくさん話しかけました。

 

これまでとなにも変わらない時間でした。