のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

介護にもたまのご褒美がある

認知症の母は、私の言葉をどこまで理解しているのかわかりません。しかし一緒にいるとき、日頃父との生活で見せることのない笑顔で非常にご機嫌です。

 

私と過ごす時間を気に入ってくれているのでしょうか。

 

数年前、母をベッドへ寝かせて部屋から出るとき「今日ね、私の誕生日なんだ」と話しかけました。

 

すると満面の笑みで「よかった、よかった〜」と何度も喜んでくれました。

 

認知症が治ったのかと思ったほど普通の対応でした。大げさかもしれませんが、本当に死んでもいいやと思うほど嬉しい出来事でちょっと涙ぐんでしまいました。

 

たまにそんなことがあると、すぐ舞い上がってまた介護をしようという気になるのです。ハハハ、母の計算だったりして(笑)

 

そんなこんなで「ああ、しんどいな〜。私だって更年期とか色々あって新幹線で通ってるのに」と思う日と死んでもいいぐらい嬉しい日が交互にやってきて、介護生活に彩りを与えてくれます。

誰だって最後は1人

独居老人を見て「淋しそうね」なんて言う人がいますが、私たちの未来の姿なんですよ。いずれ行く道。

 

家族に囲まれ仲良く楽しく暮らしていても、亡くなったり、嫁いだり、別れたりで1人抜け2人抜け、最後は1人ぼっちです。

 

永遠に続く間柄などありません。

 

俳優の内藤剛志さんが家族は一時的なユニット

 

というなんともぴったりな例えをしていました。

 

1人ぼっちは果たして孤独で気の毒なんでしょうか。気の合わない人と一緒にいるのが苦痛過ぎる私にしてみれば、適度な距離感の友人知人と健康、住む場所、生活費があればそれはそれでありと思えますが。

 

そもそも、そうなった時の気持ちを今のうちから想像しても、その時どう思うかなんてわかりません。

 

しかも1人になる前に先に旅立つかもしれません。ただの取り越し苦労かもしれません。

 

よくおひとり様の最期は看取られず、ご遺体の引き受け手もおらず、自宅の処分や死後の後始末で揉めて大変なんて報道を聞きますよね。

 

私は身内にそういう人がいて、確かに大変だったのでその通りだとは思います。でも今後はそういう事例が増えていくと思いますよ。

 

時間はかかりましたが遺された人でやれない事ではありませんし、今は死後の片付けを生前契約できるサービスもあります。

 

あまり未来や不安を先取りしすぎず、1人になっていくプロセスも楽しめたらいいなぁ。

処刑道具の展示

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明治大学アカデミーコモン棟に、考古学の展示品以外に江戸時代の拷問・処刑具の実物があり、誰でも見学できます。f:id:nozosan-net:20170312184055j:plain

 

 

御成敗式目 生類憐みの令 武家諸法度 大日本帝国憲法など、聞き覚えのある刑事法も展示されています。

 

罪を犯せば罰せられるわけで、どのような行為が罪なのか、それを罰する道具と共に解説されています。(撮影はできません)

 

最近何が犯罪なのかわからなくなっている大人の方も、再確認に訪れたら楽しめるかもしれません。

 

近頃は学校などにも常備されているという刺又や、なんとか捕物帳に出てくる十手もあります。

 

自白させるための拷問具もあり、ムチウチ、石抱き、吊るし責めなど、やり方はいくつもあります。

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そしてOBでもある阿久悠先生の記念コーナーもあり、直筆原稿やヒット曲のレコードジャケットも展示されています。

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無料でこんなに楽しめていいのか‼︎というほどのパラダイスなので、是非訪れてみて下さい。

 

https://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html

ウチのヨメと言った途端品性を疑う件

個人的な感覚なのですが、自分の奥様を外でなんと呼んでいるかで、その方の見方が変わります。

 

無意識に長年の習慣でしていることに意味はないとわかりつつ、とても好印象な若い方がヨメと言っていて違和感がありました。(息子の嫁というように、嫁ぎ先の親御さんが使うようです)

 

公の場では使わないほうがいいかな、と感じました。

 

家内  細君  家人  妻  奥さん  おかあちゃん  女房 ワイフ

 

どれでもいいのですが、公的な場と内輪の飲み会を区別できると配偶者を敬ってる感があります。

 

特に年長者の前で「ウチのヨメが」というのを聞くと、奥様はあなたの持ち物ではありませんよと思ってしまいます。私は別にフェミなわけじゃないんですがね。

3.11に寄せて

もう6年経つのですね。

 

あの日は午前中千葉のアロマスクールの体験に行き、午後からの出勤でした。

 

最初にガラスがガタガタいって春の強風かな?なんて思っていたら14:46に立っていられない揺れに襲われました。

 

どこかに掴まって凌いだと思います。取り敢えずその日はそのまま帰宅することになりました。更衣室隣のテレビが東北沿岸を真っ赤に塗った地図を映していました。実家付近です。

 

まだ明るい道を急ぎ足で帰る途中、奈良の友達が何度も「大丈夫?無事?」とメールをくれました。帰宅後すぐに固定電話から彼女に電話して無事を伝えました。

 

実家にもかけると母が出て「まだ揺れてるよ」とのこと。なぜか父は不在でした。なにか対策に走っていたようです。この電話を最後に四日間実家とは音信不通になりました。

 

報道も壊滅的な津波被害の映像を流すばかりで、私の実家がどうなっているのか、誰とも連絡の取れない中で不安な時間が流れていきました。

 

ようやく友達の携帯に繋がりましたが、自分の事で精一杯。もうバッテリーなくなるからごめんねと言われ、親の様子を見に行って欲しいなど頼めませんでした。

 

地元消防団の友人に繋がり、そのまま家まで行ってくれました。すぐに携帯を母に渡してやっと安否確認できました。

 

高齢だから、誰からも連絡こないから、使わないからと携帯を持たせないと、こんな時に対応できません。連絡手段を持つことが最低限の責任だと思います。

 

固定電話も公衆電話もいっさい繋がらない数日で、メールまたはSNSの重要性が再認識されたと思います。

 

生きてるなら発信しないと助からない‼︎

日頃から使ってないと緊急時に困る‼︎