のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

マウント体験

女性なら誰しも経験あるのではないでしょうか。

 

15年ほど前に親族の集まりの席で初めて会う女性に挨拶しました。

 

どういうつもりか、すぐに聞くも恥ずかしくなるようなマウントが始まりました。

 

夫の勤務先自慢「◯ニー勤務で年収が高いの」と散々言うので「じゃお子さんお受験ですね」と返すと「え〜〜お金ないし〜〜」どっちやねん。

 

当時私は大阪に住んでいたのですが「ディズニーランド行ったことありますか?」ってイマドキ遠足で行くでしょう。

 

「東京の家は留守がちでしょっちゅう飛行機で帰省してるの〜〜」よくよく聞くと首都圏の端のほうにローンを組んだおウチなそうで、そこは東京じゃありません。

 

地方出身者特有のコンプレックスだったんですかね。私も地方出身者なので痛いほどよく分かります。そういう無理してる感があると泣きそうになるんですよ。素直なほうが愛されるのにって。

 

へ〜〜そうなんだ〜〜ご主人エリートでイケメンで優しくて羨ましい〜〜いいなぁ〜〜はぁと

 

これが模範解答ですね。

 

VERYとかを必死に読んで、慣れない標準語で精一杯背伸びして、回りにバカにされないよう素敵な奥さんを演じるのはしんどそうだな、と思ったものでした。

 

男性諸氏には永遠に理解できないでしょうけど。

歳月不待人

歳月は人を待たず       陶淵明

 

長年間違った解釈をしていました。

 

時間は待ってくれないのだから、きちんと勉強に励みなさい。だと思っていたのに二松学舎大学の石川忠久先生の解説で

 

人生短いのだから、近所の人たちみんなと心ゆくまで酒を飲んで楽しもう。これが人生の一番の目的。が正解らしいです。

 

えええっ、そうなんだ‼︎

 

人生たったの100年にも満たないのに、千年経っても解決できない憂いを抱いている。昼が短くて夜が長すぎると苦しむなら、どうして明かりを手にして遊ばないのか。人は楽しむときにはそれなりの好機があるのだから、逃してはならない。

 

楽しみを先延ばししていてもタイミングは来ないかもしれない。知り合いに定年退職したら奥様と長い旅行に行きたいという方がいましたが、奥様が癌になり願いは叶いませんでした。

 

やはりイマ、ココ、なんですね。未来は来ないかもしれません。しかし刹那的に生きろと言ってるわけでもありません。

 

その時々、判断していくよりなさそうです。かといって逃した好機を悔やむ必要もないでしょう。

 

陶淵明老師、まじヤバいです。

課題の分離

嫌われる勇気を題材にした勉強会に参加して、20もお若い方から色々教えて戴きました。

 

不惑を過ぎそれなりの経験値でモノを見る時に、一切の先入観抜きというふうにはできません。

 

アドラーの漫画も出ていて、勝手に相手に期待し勝手に失望するループから抜け出せるヒントが満載です。

 

私は不機嫌な人の波動を受けやすく、長い間私が気に触る事をしたから気分を損ねたのかしら?と思い込む癖があったのですが、それは受け手の側の問題で私がなだめたりすかしたりする必要は一切ないのだと確信できました。

 

身近にすぐ不機嫌になって空気を壊す人がいて、そういう態度を取られたら即座に距離を置くようにしていましたが、今は一切反応すらしません。

 

課題の分離が体感できた、というより腑に落ちたからです。

 

不機嫌になって優しく気遣ってもらおうなど安っぽい甘えです。対応してやるから調子づくのです。

 

何をしても無駄だと分かれば、別の相手に不機嫌をぶつけて優しくしてもらえるのではないでしょうか。

 

自分の課題は自分で解決するよりないですね。

 

友人の夫や親族など、この手の輩は周りに普通に存在します。

 

その場をおさめる為に本心でもないのに相手の意向に沿っていると、次もまた同じ手口を使ってきます。それも無自覚に。

地縁<関係縁?

先日、中高年のお悩み相談みたいな番組で「アラフィーで東京に転居しましたが友達ができません、どうしたらよいですか?」という悩みが寄せられていました。

 

転居が多かった私は、人間関係をゼロから築くことの大変さを理解できているつもりです。

 

昔はネットもスマホもありませんから、その土地で気の合う友達ができても就職や転勤で離れるのが嫌でとても辛かったものです。

 

その時は「連絡するからまた会おうね‼︎手紙書くから‼︎」なんて涙しても、実生活の大変さでその時の気持ちは薄れていくものです。

 

慣れない土地への転居は住まいの周辺環境が理解できていないうえに、生活上の分からない事を聞ける相手がいなかったり、業者に騙されたり、昔は日本の東西で電圧が違って家電の変換をしなきゃいけなかったり、小さな面倒がストレスになるのでした。

 

今は様々な手続きが楽になり、友達や知り合いが欲しければ、ネットからでもなんらかのコミュニティに参加しやすくなりました。

 

地方は与えられた地縁が存在して、好むと好まざるとそこの一員になってしまいますが、都会では自分からアクションを起こさない限り誰も関心を寄せてはくれません。

 

自分で作るご縁を関係縁と呼ぶそうで、これなら強制コミュニティじゃないだけに、自由に出入りしていいのだし楽な気持ちで行動してみたらいいかと思います。

 

私がこれから関係縁を作るなら方言だけで喋る会日本語の分かる人がいない会にでも入会しようかと思います。

地域で早期認知症に対応可能か

先日NHKのプロデューサーさんから質問されました。

 

私個人の回答としては可能と答えます。

 

しかし一般論としては無理とは言わないけれど難しいと答えます

 

それはなぜか。私自身たまたま置かれた環境が恵まれていて地域の力を存分に借りた遠距離介護ができていますが、新興住宅地や都会には地域社会そのものが存在しないケースが多いからです。

 

濃密な人付き合いは面倒。プライバシーは確保したい。他人の揉め事には立ち入らない

 

どれも普通の感覚です。私もそうです。

 

ただし健康で自力で問題解決できる場合に限る、という条件付きですね。

 

私自身、何代も前からのお付き合いのある古い土地で育ち、意味不明な慣習や掟に縛られた幼少期は嫌でたまらなかったものです。

 

ところが親が高齢になり介護が必要となってくると、このコミュニティーに助けられる事が多々あるのでした。

 

それまで上手く馴染めなかったのは、私自身の自意識過剰と、どこまでオープンにしていいのかの線引きが分からなかったからのようです。

 

とはいえ噂好きの、無自覚に意地の悪い人も確実に存在します。私の知らない人が私の事に非常に詳しいなど田舎にはよくある話で、かなり間違った伝言ゲームに仕上がっているケースもあります。

 

いちいち火消しに走るなど無駄な労力で、むしろ節度ある接し方で自分の困りごとを打ち明けるほうが効果的な場合もあります。

 

それでも「いい気になってる」等の陰口は聞こえてきますが(笑)

 

被介護者を抱え、人間関係の面倒まで新たに抱えたくないのが普通ですから、地域の力を活かそうにも一口には難しいと思います。