のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

土木の世界に触れてきました

芝浦工業大学さんの講座を受講しました。 

 

日頃何の気なしに利用している橋やダムがどんなふうに作られているか駆け足で学習、学内にある免震装置、西武鉄道池袋ビルの工事現場の見学まで盛りだくさんでした。

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そもそも土木と建築の違いを知らない。トンネルはどうやって掘るの?というレベルです。

 

担当教官の楽しいお話と資料でへ〜そうなんだ‼︎と今更ながら知ることばかりでした。

 

わたし的にはヘルメットを被る経験が一番楽しかったんですが。

 

土木工事=住む人が変わっても社会生活に最低限必要な公共工事(道路、橋、鉄道、トンネル、ダムなど)

 

建築工事=土木工事が整い、街としての機能が備わった上で生活の営みに必要な建造物工事(一般住宅、店舗、オフィス、学校など)

 

橋にはトラス橋、アーチ橋、ラーメン橋など様々な種類があること、トンネル工法やコンクリートの劣化問題まで、日頃当たり前に使っているものも多くの人の正確な仕事のお陰で利用できていることを改めて知りました。

 

豊洲校舎から有楽町線で移動して、西武・大林JVさんの工事現場を見学しました。

 

土木と建築を同時に施工している珍しい現場だそうで、トンネルの掘削も人力が一番早いという説明でした。

 

池袋駅の終電から始発までのわずか3時間で掘り進める作業で、電車を止めることなく日々作業が続いています。

 

免震装置のある20階建てビルが2019年春に完成予定だそうで、オープンしたら是非行ってみようと思いました。

 

教官のお話では建設・土木業界の問題点は説明しても対話をしないことから広報しても響かない、社会貢献しているという自負と発信が弱いなど、一般市民がメリットを体感できないことにあるということでした。

 

確かに思い当たる節があります。

 

でも西武・大林JVさんは女性もいたし、説明してくれた方々も愛想がよくて楽しませて戴きました。

 

このところ葬儀などで疲れた心を切り替える分岐点になる体験でした。

最後まで自立・自活

父はまさか浴室でおかしなことになるなど想像だにしていなかったはずです。

 

私は万が一のためにセンサーや通報装置、首から下げる子機を茶の間と寝室に配置しておきました。

 

そしていつも誰かの目につくよう、プライバシーを重視しつつ様々な人が出入りする仕掛けを作っておきました。

 

しかしその合間を縫って異変が起きました。

 

最後まで自立・自活。私にメールの返信をして、その日の出来事をノートに記録して、要支援1の認定を取りましたが介護を受けることもなく旅立ちました。

 

もうやりきったのだと思います。

 

私もほぼ同じ気持ちでした。

 

悲しさよりもなぜか達成感のほうがまさっていて、私が困らないように様々な手続きがされていたのも見事としかいいようがありません。

 

いつも李白のように死にたいといっている私ですが、飲酒後に船に乗ることはなさそうなのでこれも選択肢の一つに加えておきます。

 

 

はやる気持ちを落ち着かせるには

ぐずぐず考えるのが嫌なので、なんでもすぐ決断してしまいます。

 

保留案件をいくつも抱えていると苦しくなってくるからです。

 

さっさと済ませるために決定のスピードは早いけれど熟考しているかどうかはわかりません。

 

しかしあとあと後悔することもほぼありません。

 

考えるならまず動く。

 

走りながら修正する。

 

特に遠距離介護がスタートしてからは躊躇しているあいだにケアマネと連絡が取れなくなったり、自分が出先で電話に出られなかったり、母の様子が急変したり目まぐるしく状況が変わるので迷う暇はありません。

 

日常生活のあらゆる場面でそうなので、のんびりしている人とは一緒に行動できません。

 

ずいぶん忙しない人と思われがちですが、立ち止まらざるをえない出来事がたびたびあり暴走を防いでくれます。

 

はやる気持ちを落ち着かせるには、電車遅れや渋滞などが調整弁となってくれるケースも多く、そのときは流れに逆らわず状況に任せます。

 

機能性ディスペプシア

8月頃からみぞおちがつかえて食べられなくなり、どんどん痩せていきました。

 

10月に友人から指摘されてすぐ受診して胃内視鏡検査をしました。

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「5月のときと変わりないですよ。大丈夫です」定期検診を5月に受けていました。

 

じゃなんで痛いの?なんでつかえて食べられないの?

 

機能性ディスペプシといって精神面からくるものですよ」という説明。初めて聞きましたよ。

 http://sp.skincare-univ.com/article/018587/

しかし思い当たる節はいくつもありました。

 

4月に父の言動がおかしくなり、やれるだけの検査をするため何度も付き添い帰省しました。

 

このまま父もアルツハイマーを発症したら母の処遇と共に入所を検討しなければ。その前にやれることは?

 

まずはリバスタッチという貼り薬を始めて、通いのヘルパーさんを朝夕頼み在宅介護をフルスペック体制にしました。

 

掛かりつけ薬剤師さんや認知症の親御さんを持つ友人にも色々相談しました。

 

父の不安をできるだけ取り除けるようコミュニケーションを取る時間を増やし、通院はなるべく付き添いして各科目のドクターともよくお話をしました。

 

一部のご近所さんにも状況説明しておきました。 周囲の力を借りながらできうる限りのサポートはしました。

 

でもいつもいつも心が介護に囚われて休まる暇がありませんでした。

 

なるべく自分の機嫌を取るように自分に甘く過ごしてはいましたが、夏頃から食欲不振が続いていました。

 

身体は正直です。疲れる前に休むを信条にしている私ですが、父がMCI(認知症のグレーゾーン)と診断されたショックは大きくて、しばらくは誰にもいえませんでした。

 

今回の検査のことは父には話していて「いい友達を持ったね」といわれていました。

 

前回とは違うお薬と、酷い貧血のためしばらく鉄剤を続けることになりました。

献脳で病気解明できるかもしれない

献体と臓器提供は聞いたことがありましたが献脳というのは初めて知りました。

 https://mainichi.jp/articles/20171029/ddm/016/040/048000c

 

認知症患者がこんなに増えていて、これからも増加の一途を辿ると予想されるのに実は治療方法がありません。

 

今のところ進行の速度を緩やかにするお薬、リハビリぐらいなのです。

 

それも効果の出る人、芳しくない人、様々なので診断されるとかなりショックを受けます。

 

私は今でこそ受け入れていますが、はじめの頃は絶望的な未来しか予測できずかつ話せる人も殆どいなくて孤独そのものでした。

 

そうこうしているうちに母の症状は進行していく。

 

なすすべもなく時が経過するのを傍観するしかない自分の扱いに困っていました。

 

認知症の初期段階で本人が献脳意思を表明できればこれからの人たちへの道筋にはなりそうですが、本当に解明されるのかどうか疑問です。