のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

四十八歳の抵抗

高校時代、石川達三にはまっていた時期があり四十八歳の抵抗を読んだとき「そんな中年になってもまだ悩むのか‼︎」と30年以上先の未来が不思議でした。

 

さて30年の歳月などあっというまに過ぎ去り、ぼんやりしているうちに四十八歳もとうに過ぎたわけですが今ならわかりますよ。

 

ええ、大人じゃありません。

 

大人のふりはしてますがメンタルはまったく成熟していません。

 

この作品の主人公は55歳定年が一般的だった昭和30年代に大手損害保険会社の次長職で、都内に戸建て住宅を構え平凡でちょっと退屈な日々を過ごしつつ若さを失っていく焦燥感に苛まれています。

 

時代背景や価値観が違いますからね、いま読んだら定年後こそ楽しめるのに‼︎と思いますが、所属組織を失う=アイデンティティの喪失みたいな図式ですかね。

 

高齢者の定義も変化していて、どんな老後になるのか戸惑っていた時代ですね。

 

って48歳で初老という表現が、もうこの先夢も希望もない感じですが。

 

老人になる前にやり残したことをしようと、ヌード撮影会‼︎や愛人と熱海旅行を楽しんだり、これまでよき家庭人として過ごし抑制していたことを楽しみだします。

 

しかし常に心は晴れず小言の多い妻やできちゃった婚の娘に振り回され、やがて祖父と呼ばれる日を待つというストーリーです。

 

本当はやりたかったことが山ほどあるけれど、現状とうまく折り合いをつけながら日々をやり過ごしているという典型的な中年の姿です。

 

最近でこそやりたいことをやろう‼︎という風潮ですが、それはこれまでの正解と思われてきた価値基準が崩れてきたお陰でもあります。

 

皆んなと同じじゃないと周囲から浮く、と勝手に制限をかけるようなライフスタイルは過去のものとなったいま、たそがれ時からでも充分間に合うので人生を謳歌したいものです。

会話に飢えた高齢者は話が長い

いずれ自分もそうなるんでしょうけどね。

 

とにかく同じ話を繰り返すのとオチがないんですよ。

 

私はそれほど素っ気ないつもりはないのですが、常に多くの雑務を並行しつつ走っているのでお話を聞く余力はありません。

 

年齢を重ねるほど会話にさくエネルギーがなくなっていきますから、お喋りできる友人がいるほうがいいですよ。

 

サービスカウンターなどで係の人に絡む高齢者を見かけますが寂しいんでしょうね。

 

それもできない人だと家庭で同じ話を繰り返し家族に疎まれたりします。

 

すると静かに進行している認知症に気づいてもらえなかったりします。

 

難しいですね。

 

コミュニケーションエラーというか家族だと近すぎるんですね。

 

心当たりのある方はちょっとだけ気をつけてみてくださいね。

認知症患者の歯科受診

以前にも書きましたが、認知症患者さんは自分の不調や不快をうまく言葉にできないので、こと口腔衛生に関しては雰囲気で察するよりないのです。

 

去年、父と2人がかりで母を総入れ歯にするのに立ち会ってすぐ父は他界しました。

 

父の最後のお仕事が母の歯科付き添いでした。

 

新しい義歯は訪問歯科医が微調整をしてくれて、施設には専門の口腔ケアの職員もいて安心していました。

 

しかし数日前、母の下の義歯がなくなったと連絡がありました。

 

私は千葉の自宅に戻ったばかりでヘトヘトに疲れていました。

 

可能性としては収集癖のある別ユニットの利用者さんが持ち出したか、よく舌でいたずらして外してしまう母なのでトイレに流してしまったか見つからないとのことでした。

 

最悪、下の義歯がなくてもムース食なので食べることはできます。しかし歯がないと見た目に問題が出てきます。

 

いつもの訪問歯科医に連絡して新しく作るよう手配してもらいました。

 

別のデイサービスに通っていた頃から受診していたからこそ、このような緊急時に助かります。

 

今後の型取りや調整などすべてに付き添いできないので口腔ケアの専門職員に託すことにしました。

 

やはり頻繁に訪問歯科医や歯科衛生士さん、施設スタッフさんに会っていてよかったと思いました。

 

あまり面会にも来ない家族によくない情報を伝えるのはスタッフさんも気が重いだろうと想像します。

 

私は毎月面会し、職員さんとよくお喋りし私の状況や母が寒がりゆえ送風口の下に座らせないでほしいとか、首まわりは必ずスカーフを巻いて就寝時はバスタオルで肩までくるんでほしいなど具体的な要望をお話ししてきました。

 

利用者さんの家族の顔が見えるってとても大切なことだと思います。

 

 

 

相続空き家が長屋だった件

親族が生涯単身で孤立死していたことを以前書きましたが、手続き完了まで5年半かかったのには訳がありました。

 

暮らしていた持ち家が一軒家を真ん中から半分にした長屋でした。(長屋を知らない現代っ子はぐぐってね)

 

さて配偶者もお子さんもいない人でしたから甥姪が被相続人になります。意思と情報を共有するだけで時間を取りました。

 

連絡のつかない人、途中で急死し、その方のお子さんが代襲相続するも親子間で絶縁していてなしのつぶての人などで作業を進められません。

 

連絡がつかないので期限内の権利放棄もできないということですね。

 

預貯金と不動産を別々に処分することになりましたが、身内が「叔母に可愛がられていた俺が託されている」と言い出し、素人が不動産売却と相続手続きをすると啖呵をきったまま放置すること数年。

 

そのまま透析患者になり遂行できなくなりました。

 

病気になれば逃げられるということでしょうか。

 

透析治療でますます時間が捻出できなくなり、それでも権利書など手放さずにいましたが、遂に折れて専門家へ委ねることになりました。

 

(なんど諭しても灰皿を投げたり暴れたり手がつけられませんでした)

 

ここまで費やした無駄な時間と労力と維持管理費、固定資産税。

 

戻ってくるわけじゃありませんが、承認欲求を満たしたいがために長年こじらせ続けて親戚一同から顰蹙を買い得るものがあったのでしょうか。

 

その土地は今では素敵なカフェに生まれ変わって地域の皆さんに喜ばれています。

 

今さらだけどユマニチュード(人間らしさを取り戻す)ケアをおさらい

在宅介護をしていた頃、母が様々なことが理解できなくなり不安からか10分おきにトイレに行こうとしたり、度重なる徘徊でヘトヘトになりました。

 

そのたびに病そのものを理解しようとしない父は怒鳴りなじり散々でした。

 

家庭崩壊

 

介護虐待

 

ネグレクト

 

そんなワードが頭の中をぐるぐるしだして、一刻も早くこの場から逃げたいという気持ちになりました。

 

自分や周囲のことがわからなくなれば誰でも不安ですから、失禁して責められる前に用を済ませておこうとか、ここは自分の居場所ではなさそうだから生まれ育った実家へ帰ろうと思うのは自然なことです。

 

今ならわかります。

 

しっかりしていた親が壊れていくのを冷静に受け止めるのはなかなか難しく、他人事なら偉そうに批判もできますが、いざ自分ごととなるとなかなかね。

 

そんなときユマニチュードケアを知り

①水平に正面から・近くから長く「見る」

②低いトーンで優しく歌うように・ポジティブな言葉を途切れなく「話す」

③広い面積でゆっくり包み込むように「触れる」

④1日20分は立つ時間を作る「立つ」

 

を実践してみました。できないときも自分を責めません。

 

病の進行もあり母は暴言・暴力はなく徘徊と失禁に手こずりましたが、その時期に相応しいケアを受け入れるようになりました。

 

晩年の父は「介護させていただいている」とまでいうようになり、高齢になってようやく他人が思い通りになどならないと理解できたようです。

 

穏やかな気持ちがどんどん枯れていく介護生活ですが、少しだけ相手の不安や恐怖を想像してみましょう。