のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

初動を逃しその後

翌年私は生活拠点を千葉に移しました。近くに親戚も住む場所でしたが、自分が住むのは初めて。沿線の雰囲気もいまいちわからず、でも都内に出るのはそう不便じゃないな・・・ぐらいの認識でした。買い物するお店や最寄り駅、病院や銀行、郵便局など把握しなければならない場所がたくさんあります。いわゆる土地勘がつくまでは、紙の地図を見て実際歩いてみてようやく「わかる」感じです。地域で一番の百貨店も遠くないのに乗り換えしなければならず不思議でした。

 

時々親には近況報告の電話をするぐらいで、母がどの程度症状が進んできているかわかりませんでした。環境変化のせいか私は風邪などでよく体調を崩すようになり、今でも悩まされている肩甲骨回りの痛みがその後はじまりました。白衣を着る職場で肩凝りが酷く、そこからはじまった気がします。

 

転居後10カ月経過した2011年3月11日東日本大震災が発生しました。確かその二日前に変な揺れを感じていました。3月11日は午前中アロマセラピーサロンにどんな勉強をするのか聞きにいって、クラフト作りなど教わりました。アロマが認知症に効果があるらしいと聞き、介護交流会で教わったし背中が痛い私にも効果があるのでは?と興味を持ちました。

説明を聞いてから帰宅し、午後から職場に出勤しました。勤務スタートは15時なので早めに着いて準備していると、縦横わからないシェイクされるようなもの凄い揺れがやってきました。あの宮城県沖地震どころじゃありません。咄嗟に頭を守り揺れがおさまるのを待ちました。結局その日はそのまま帰宅指示が出て帰り道を急ぎました。途中携帯に奈良在住の友達からメールが何度か入りました。私がまだ宮城県に住んでいると心配してくれたようです。

 

帰宅後その子に電話して事情を説明してお互い安心しました。その時点ではまだ固定電話も通じました。テレビなども報道が追い付かなくて、宮城県の被害状況などよくわかりませんでした。揺れは大きかったけどさほどの被害ではないだろう・・・と思いつつ実家に電話すると母が出て「今も揺れてるよ~。パパは出かけた」とのこと。取り敢えずの安否確認はできましたが、被害状況がどんどんあきらかになりその後4日間まったく連絡がとれなくなるなど想像もおよびませんでした。