のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

徘徊

ヨガを習い始め漢方薬を飲んで、いつも慌ただしく先を急ぐ心身状態をひとまずリセットしてゆったりな日々を楽しんでいたある日父から電話がありました。母が介護施設のデイサービスを週に1日利用し始めて、つい先日祖父母の法事で父方の親族が実家に集まったとのこと。みな高齢だし遠方の人もいるのでいつもの近所の料理屋さんで食事会をして夕方には散会し、その後父はうたた寝をしていたとのこと。気づくと母の姿がどこにも見当たりません。田舎の家は部屋数も多く庭も広いので夕暮れ時に探すのはなかなか大変です。さすがに自分ではどうにもならないと思った父は最寄りの警察に捜索願を出して連絡を待つことにしました。「どこかで事故にあってるのではないか?」など悪い想像ばかりが巡ります。認知症患者の徘徊事故がよくニュースなどでも取り上げられていましたから、いざその立場になると他人事ではありません。

 

夜12時前後に、近くの国道付近で頭から流血して倒れている母らしき人を発見したと通報があり、父が現場付近のラーメンチェーン店まで出向き駐車場に車を置かせて貰って立ち合いました。息はしてるけれど頭の傷は転倒で打っただけなのか、脳の中まで損傷してるのかわかりません。すぐ救急車を手配して戴き受診できる医療機関を問合せしながら走りました。その日はちょうど七月の海の記念日、祝日でした。以前漫画「ブラックジャックによろしく」で「深夜に事故にあってはいけない、当直医がいない!助からない!」と医療現場のリアルを描いていたのを思い出しました。救急隊員さんは、脳外科でCTやMRIなど撮影できて処置までできる医師のいる医療機関を必死で探しながら運転します。心当たりのあるどの医療機関に問い合わせても、そもそも祝日で病院そのものが休みなのですから医師が都合よく待機してるはずもありません。宮城県にも休日当番医という制度がありますが、診療科目に関わらずの地区当番制だった気がしました。

 

13件目に問合せして、専門ドクターのいる国立病院機構仙台医療センターに受け入れが決まった時はもう真夜中過ぎでした。脳の中の画像診断をして中身に異常がないのがわかり、傷口の処置をして戴いてタクシーで帰る頃にはもう東の空がしらじらとあけていたそうです。さいわいにも母は転倒で頭を打っただけで、その時の傷がちょっと大きくて3~4針縫っただけでした。当時実家の隣が整形外科だったので、そこで一週間ほどで抜糸してなにごともない日々が戻ってきました。

 

・・・というような内容を電話で報告されさすがの私も動揺しました。

あの介護勉強会で教わった、認知症の「周辺症状」といわれる徘徊がついに始まった。今後どのように対応していけばよいのだろう?私にできることは?認知症はこれからどのように進行していくのだろう?それにしても背中のピンポン玉の痛みが辛いんだけどよくなるのかな?

 

さまざまな不安が襲ってきます。現段階でどうにもならないことを先取りして一層不安が増すという、母そっくりの独特の思考ぐせです。「まだ」どうなるかなんてわからないのに。そしてなにも起きていないのに。そんなこんなで母が初めてのショートステイ(宿泊の介護サービス)から戻る当日に帰省することにしました。八月の半ば過ぎでした。