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遠距離介護とゴミ屋敷問題

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

座禅会Ⅲ

後半の25分はもう自分との戦いでした。唾液を飲み込むタイミングすら掴めず呼吸も荒くなってくるのに動けない、姿勢を崩せないというのは静かな苦行でした。


それでも「終わったらそごうで買い物しよう」とか「駅前のカフェでコーヒー飲もう」「次回は早めに来てどこかでランチしよう」など俗世にまみれた邪念雑念がよぎっては消えていくのを傍観するように、その場に身を任せていきました。

 

やがてご住職の鉦(かね)の音で25分経過を知るのでした。「やっと終わった~」解放されて心身共に喜びました。そしてご住職から受講生に向けて短い法話がありました。


ホワイトボードにハートの絵を描いて「人は生まれたばかりの時、心はこんな形をしています。しかし不安や心配などがハートの中に増えていきます。」と言ってハートの中に丸い円をいくつも描かれました。ああ、確かにそうだなぁ。次に上は透明、下は濁っている水の入ったコップの絵を描いて「座禅はこのように心が分離する効果があります」と解説されました。へ~そうなんだ。

 

丹田呼吸(たんでんはくすう)(こきゅうではなく「はくすう」と仰ってました)を一分間に2~3回、吐くのに25秒かけられるのが理想だそうです。するとコップの絵のような心持ちになれるのでしょうか。これも即座にできない~!などと言わず、少しずつ習慣にしていけばだんだんとそうなれるかもしれない、いやなりたい!と思いました。


遠距離介護で宮城県に通いながら、本来介護に集中したいのに呆れるほどのゴミ屋敷片付けに疲弊していた私は、昔あったことを思い出したり、いっこうに進まないゴミ捨てで嫌な気持ちになることが多くいつも心がざわざわしていました。


いくら捨てても捨てても減らないゴミがらくたの山、管理できないくせに処分に抵抗する父。賽の河原で石積みしてるようで「なにもできないじゃないか!!」と叫びたいぐらい辛い状況でした。しかもいつも肩甲骨回りが痛くてイライラしていました。


そして似たような状況の同年代の介護仲間を欲しているのに、そんな人など見当たりませんでした。「共感できる友達がほしい・・・」それが当時の一番の願いだった気がします。


地元の交流会のメンバーさんはそれぞれの介護に忙しい。帰省した時会えるよう日程を組むのも毎回は難しい。一週間滞在しても朝夕の介護とゴミ出しで疲れて過ぎる日々。「たわいないお喋りがしたいな」本当にささやかな願いでした。

 

そうだこの現状から逃れたかったんだと改めて気づきましたが、コップの絵のような心を手に入れたところで実家のゴミ屋敷が片付くわけではありません。やはり自分が作業しなければ片付かないし、座禅によって手に入るかもしれない穏やかな心は、同じ場面でも見え方や捉え方が違ってくるツールのようなものでゴミ屋敷片付け機ではありません。


けれどこのツールを身につければ、これからどれだけの時間や費用がかかるかもわからない、果てしなく遠すぎて見えないゴールまでなんとかやり遂げられそうな気もしました。つまり「異なる視点」が持てそうな予感がありました。


f:id:nozosan-net:20161102201243j:plain何も考えない、忙しく頭を働かせない時間を敢えて設けるために「椅子座禅」月一回、半年コースを申し込んだ私は、なかなかできない体験と法話を聞いて秋の夕暮れ家路を急いだのでした。