のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

愛新覚羅溥傑邸を訪問

f:id:nozosan-net:20160924135029j:plain千葉市稲毛区にある愛新覚羅溥傑(ラストエンペラーの弟)邸を訪問しました。20代の頃、奥様の浩さんの著書「流転の王妃の昭和史」を読んで以来気になっていて、日本で暮らしていた時期があると聞いていたけれど場所は?どんなおうちなのかしら?と気になりつつ時が流れてしまいました。

 

奥様の著書を読むきっかけは、その前後に公開された映画「ラストエンペラー」の影響だったかもしれません。ラストエンペラー本人溥儀にフォーカスした映画でしたが、弟さんがいたことや奥様が日本人だったことは触れられていなかったと記憶しています。男装の麗人川島芳子さんがスパイだったにもかかわらず映画になったり、満洲帝国は傀儡(かいらい)政権と呼ばれたり不思議な時代だったんだなぁぐらいに思っていました。実はちょっと中国好きです(笑)

 

千葉に転居した折り、溥傑さんのお宅があると広報誌か何かで見て以来気にはなっていましたが、なかなか行くきっかけがありませんでした。しかし書道を習い始めトーハク(東京国立博物館)へ王羲之の書聖展を見に行くと、そこにはラストエンペラーの書の掛け軸も飾ってありました。確か映画の中で幼少期にお付きの人に「drink,it!」と硯の墨汁を飲ませるシーンがあったので書を嗜んでいたのでしょうね。素晴らしい文字でした(もちろん読めません)

 

最寄りの稲毛駅から国道16号線方面、浅間神社を目印に歩いていくと地味な看板が道沿いに掲げられていて、本当に気を付けて見ないと気づきません。細い道を入ると古い日本家屋が建っていて、そこが溥傑さんのお宅だとわかりました。千葉市から委託された年配女性がお掃除や来客対応をしていて、受け付けノートに名前を記入して室内を見学させていただきました。

 

お庭側から見ると平屋の建物はくの字の形をしていて、二間続きの和室には書院づくりの床の間があり、漢詩の掛け軸や愛新覚羅家の略系図などが掛けられていました。浩さんが皇室の親戚でもある嵯峨侯爵家の令嬢であり、溥傑さんが清朝最後の末裔だということがわかりました。愛新覚羅家に嫁ぐ時は、政略結婚で日本と清の間のやりとりが大変だったと著書に綴られていました。当時は大陸に嫁ぐなんてもう二度と祖国の地を踏み親の顔を見るなどできない!ぐらいの覚悟だったのでしょう。

 

管理の女性と室内に飾られた写真を見ながら、二人のあいだのお子さん、お孫さん、ひ孫さんの話題から、時々稲毛のこのおうちにご親族がいらっしゃるのだというお話を聞き、まるで生きた歴史の教科書をめくっている気分になりました。清朝の子孫の方々が日本に暮らしているなんてロマンです。ご夫妻の資料は今は大学の図書館に寄贈されてよい状態で保存されているそうです。

 

晩年は中国で生活されていたお二人のカラー写真はとても穏やかな佇まいで、歴史と時の政権に振り回された人生を送ったなんて微塵も感じさせない姿でした。お孫さん家族との集合写真もたくさんあり、食事会などで時折り集まっておられたのだなというのがわかりました。

 

溥傑さんも書を嗜まれ額縁に入った「笑顔常勝」の色紙が飾られていました。書体はわかりませんが丸みを帯びたとてもやさしげな文字で、なんだかうれしくなりました。