空き家とセットで語られることが多い気がします。たびたびテレビでも面白おかしく取り上げられてますが、昨日の朝刊一面に載るほどの社会問題ですね。
なぜゴミ屋敷になるのか。ある日急にそうなるわけではありません。長い年月をかけて、住人が年齢を重ねると同時に判断力を失っていきます。要は決断ができなくなっていきます。
決断ができなくなる原因は加齢による気力体力の低下や認知症などの疾病があると思います。それと背後の人間関係も大きく影響します。
年齢とともに物事に執着しがちになります。
なぜそうなるのか。もう二度とこれは手に入らないかもしれない、もうあんな楽しいことはおきないかもしれない、未来の可能性が閉じていくからです。
今日を無事に幸せに暮らせて感謝、という気持ちと明日も同じように穏やかに暮らせますように、だから現状のままで・・・になりがちです。
広い家に老人二人きりになっても、「いつみんなが来てもいいように」大量の来客用寝具や食器が使われないまま20年以上放置されています。なくなっても誰も困りません。そしてもう誰も訪ねてきません。
それなら今、困っている必要としている人に譲ればと提案すると、使わないくせに手放すのを嫌がります。「なにかあるかもしれないから」と。
「なにか」ってなんでしょう。実家は東日本大震災の被災地です。もうなにかは起きたんじゃないでしょうか。モノを大切に扱わずに執着しているだけで、誰かにシェアしょうとか、利活用とかそんな考えは0です。
他人が来ない家は指摘もされませんから、役割を終えたゴミがらくたで廊下も通れなくなっても疑問にすら思いません。
ある日、母が起きられなくなり救急車を呼びましたがゴミ屋敷で担架を出せませんでした。執着の結果、自分で自分を命の危険にさらすことになりました。
形あるものを失うことを極端に嫌って、現状にふさわしい暮らし方がわからなくなり、指摘してくれる身内や友達もいない。
時間軸を今に合わせる意識を持てば、山積みのがらくたで歩けない廊下をまたぎながら移動するなんて事態は避けられるでしょう。