この二つがいえたら、大概どうにでもなると思います。やる気がなくて依存する気まんまんだと「またかよ」と呆れられますが、いえない人は物事を深刻にかつ自分だけの問題と捉えがちで、真面目の方向性を間違っています。
他者目線だと「それは問題ですらない」場合が往々にしてあります。「え、そんなことで悩んでるの?」みたいな内容だったりもします。
はい、かつての私がそうでした(笑)「わからない、困っている」のを人に知られたくなくて「わかっている、困っていない」ていでやり過ごしてきました。
いえると楽なんですよね。だからいえるようになるまで「わからない、困っている」状況が繰り返し何度もやってくるのですね。何度も何度も「機会」を与えられて活かせないまま年月が過ぎました。
自分でどうにかできること、他者に助けを求めるべきこと。ここの線引き区別ができないと永久にループから抜け出せません。
長年「人に迷惑をかけてはいけない」と様々な場所で教え込まれてきて、私を含め何が「迷惑」なのかわからず年齢を重ねた人の多いこと!
堀江貴文氏が近著で「真面目すぎる人は問題の切り分けが下手」とバッサリ斬っておられます。久々に痺れる名言でした。真面目を「融通がきかない」に替えるとわかりやすいですね。
そして「人に頼らず自分でなんとかしよう」と意味なく頑張り続け結果を悪い方向へ導いていく。プロセスが評価されると信じて疑わず、間違った過程すら褒められるという思い込み。
私も遠距離介護で、いかに人に任せられるかを常に問われる立場になり、お願いする相手とのコミュニケーションを意識的にとるようにして「私の困りごと」「私がやってほしいこと」を明確にリクエストできるようにならざるをえませんでした。
そしていつでも連絡取れる手段を持つこと、介護スタッフさんに感謝の気持ち+アルファを伝えることを意識しています。
いまでも万全なわけではありませんが、母の連日に及ぶ徘徊で毎日警察に捜索してもらい、夜中に頭から流血して倒れていたことや、昼夜問わずの失禁でクタクタになり、もう自分では対応できないと早めに気づいたのがチャンスだったのかもしれません。
「目の前の出来事は次の行動のヒント」と捉えられるようになるまで、かなりの時間を費やしてしまいました。