のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

二重被爆  ヒロシマ・ナガサキ

10年ほど前に、ヒロシマナガサキ両地点で被爆された方がいるとはじめて知りました。

 

えええっ‼︎どういうことなの?

 

その方が既に他界されたと知り書籍と映像を見てみました。

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山口彊(つとむ)氏。長崎三菱造船(株)造機設計課機関艤装係勤務。1945年8月6日広島出張中に舟入町被爆

 

酷い火傷を負いながら妻子の待つ長崎へ一昼夜かけて戻るも、長崎三菱造船所内で8月9日に再度被爆

 

終戦後は米軍の通訳として働き英語教師になり、再び三菱造船に戻り組合活動をすることに。常に体調の悪さを感じながら、外国船注文の渉外をしつつ二重被爆の話をすると「海外に向けた非核平和を訴えては?」と提案される。

 

ご子息を二人亡くし、晩年は奥様が認知症になり、自身も左耳の聴力を失い胆嚢摘出、白内障など様々な不具合を抱えながら「語り部」となる選択をする。

 

ドキュメンタリー映画二重被爆」は米国でも上映され、山口氏は90歳で初めてパスポートを取得し、国連本部とコロンビア大学核廃絶を訴える。

 

 肌の色や言葉が違っても同じ人間なら話せばわかる、と繰り返しておられます。

 

One for All ,All for One 

 

晩年、末期癌の病床にジェームズキャメロン監督が訪れて「あなたの被爆体験を映画にしたい」と語ります。

 

山口氏は「I have done my duty」(私の役目は終わった)と答え10日後亡くなりました。

 

二重被爆者は165人程度いるらしいのですが、どのような経緯で被爆したのか実情は定かでなく、既に他界された方も多いようです。

 

あまり知られていないようなので綴ってみました。