のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

花園大学にて禅を学ぶ

この夏、ようやく花園会(臨済宗妙心寺派の檀家さんの集まり)の夏期講座に参加しました。

 

今年のテーマは白隠禅師特集で、彼の生い立ちから活動まで様々な僧侶講師のお話を聞けました。

 

普通の生活をしていて仏教とはなんぞや?と考えながら過ごす人のほうが少ないと思います。

 

家に仏壇があってもお盆やお彼岸、命日以外意識することはないし学ぶ機会もありません。

 

二泊三日の二日目に、花園大学名誉教授の西村老師のお話がありました。

 

白隠禅師が42歳でコオロギの声を聞いて号泣。従前の悟りは過ちだったと知った。というくだりから、向上とは更に上に行くこととは違う、「その先」という意味である。悟りのその先は些子(さし)である。

 

些子とは下りる、なかったことにするという意味だとか。

 

枝先まで登ったムカデがその上を目指すのではなく、そこから下りる。

 

これまでの向上をあっさりなかったことにできるかどうか難しそうですが、つまりそういうことらしいです。

 

執着せずさっさと手放すということでしょうか。

 

西村老師は花園大学を卒業後、急に米国留学の声がかかるも数ヶ月後結婚する日程だったそうです。指導教官に話すと「結婚を延期すれはいいじゃないか」と軽くいわれ、5500円の給与で12万円の渡航費用を工面し婚約者を日本に残して渡米。帰りの交通費はホストファミリーが貯めておいてくれたそうです。

 

その後京大に入り直し、母校で教鞭を取り退官。西村老師のアドベンチャーな人生もなかなかの聞き応えでした。

 

あの出来事がなければ今はないと仰っておられました。

 

他の受講生が遠慮するなか、ちゃっかりお話させて頂きお名刺まで頂戴しました。

 

安土城近くの老師のお寺を訪ねて、お話の続きを聞きたいです。