7日の朝に電話で、12日に帰省するよと話したのが最後になりました。
9日の夕方、いつも通りメールを送ってしばらくすると母の介護施設から電話がきました。
母の帰宅時刻に鍵が空いてない。父が浴槽で倒れていた。心肺停止状態だった。蘇生の見込みがなかった。警察で検死をすることになった。
数日前から母の風邪がうつったようで漢方薬を処方されたとメールがありました。8日の19時のメールが最後でしたが、きちんとした文章でした。
ケアマネ、ヘルパーさん、近所の叔母と相談しながら物事を進めていき、私が到着するまでに父は自宅へ戻り枕経まであげて戴いていました。
叔母の段取りのよさに脱帽です。
母を見送るのが自分の使命だから先に逝くわけにはいかない‼︎と常々いっていましたが、介護疲れと老化には抗えず娘が親二人を見るなんて無理だと知っていました。
九月にはまだまだ先でもいいのに屋根の塗り替えをしました。自分の中で私に引き継がせたくないものを消し込みしているようでした。
七月にはMCI(認知症予備軍)の診断を受け、シール式の貼り薬で予防治療をしていました。
自ら地域包括ケアを上手く回せるようになり、ようやく人に頼るということを実践できるようになった矢先でした。
晩年は私と二人三脚で母を介護することによって、長年の不仲が雪解けしたかのような濃密な時間を過ごせました。
友人達との温泉旅行に私を同伴し嬉しそうでした。飲み会のとき私に送迎されるのが夢だったといっていました。
どれも叶ったね、パパ。
もう毎日のママの食事の世話やオムツ替え、洗濯をしなくてよくなりました。
これからは好きな時間に飲みに出かけ、読書してフルートを楽しみ野菜を育てられるね。
フィールドが変わっても楽しいことがたくさん待っているはず。
本当にお疲れ様でした。