お通夜のあとに控え室で休んでいたら、小学校からの同級生やピアノ教室の管理会社に勤務していた友人が訪ねてくれました。
あまりにも突然だったので、連絡が行き届いていませんでした。
同級生は「さっき看板見て知って‼︎」と慌てて駆けつけてくれました。
「こないだお父さん庭木の手入れしてたよね?うちの母も8月になくなってさ〜、うちのダンナ灯油配達で先週お父さんに挨拶したみたいよ」などの話を短いあいだにしました。
彼女のお母様はシルバーボランティアで、父の昼食宅配の配達をしてくれていました。二人ともいなくなり、もうお弁当のやり取りができなくなりました。
もう一人の彼女はグランドピアノを購入する際に相談に乗ってもらい、手配から納品までしてくれて個人的に遊びにも来てくれていました。
父なりに彼女の身の振り方など心配していたようです。
父の同級生から高校時代初めて庭球部を作ったのがお父さんだったんだよ、と聞かされました。ええっ知らなかった‼︎
幼稚園から一緒の友達のご両親は自宅から出棺するところに立ち会ってくれました。
SNSで知った友達は、イチヂク煮のお土産持参で焼香に来てくれました。
みんなみんな昔からの知り合いで優しい人たち。
私はそんな恵まれた環境を好まず、素の自分をあまり知る人のいない都会で暮らす時間が長くなっていました。
しかし。ふるさとの人たちは思う以上にお節介なぐらいに優しく私を気にかけてくれていました。
私は自分に初めから与えられていたものに気づけなかったようです。
いつでも戻れる場所を持っていること、何代も遡ったご先祖様同士がお付き合いのある関係性など、他人から羨ましいなどと言われる意味がわかりませんでした。
郷愁とも違う、皆んなが知り合いで安心して過ごせる頑張らなくてもいい場所。
それが私のベースにあるのですね。