もともとの帰省予定の12日がお通夜になった。その日は父の母親の誕生日だった。翌13日が葬儀で私の母の誕生日だった。
私のネイルサロンの予約が10日になっていた。ジェルを落としてから葬儀に行けるような段取りが組まれていた⁈
父は亡くなる前日に散髪に行っていた。
父の妹夫婦が12日に立ち寄ろうとしていた。
友人が12日父に電話をしようとしていた。
お盆に読経に来てもらったとき、父は住職に生前に戒名をもらえないか相談していた。
通いのヘルパーさんに、なにかあったときの連絡先として叔母の電話番号を渡していた。(私も同席していた)お陰で警察の検死手続きがスムーズだった。
石材屋さんと葬儀社さんに手配をしようと思っていたら、石材屋さんが焼香に来てくれて仕事の話がそこで完結した。そこへ葬儀社さんから電話が来てすぐ位牌の打ち合わせになった。
投稿で知った仙台市内の友人が弔問に来てくれた。
先月、屋根の塗装をしてくれた職人さんにお礼がしたいと思っていたら焼香に来てくれて、その場でお礼ができた。
母の義歯がちょうど前の週に完成していたので、歯科医にお礼に伺えた。
迎え火のランタンを作ってくれた職人さんが、富士山とふるさとの山の形の寒天を作って訪問してくれた。
父の謄本を取りに行ったら字体間違いで一週間かかるといわれたのに、帰宅後すぐ役所から「できあがりました」と連絡があり司法書士事務所へ届けられた。
私から動かなくても連絡したい人があちらから来てくれる。それも絶妙なタイミングで。
数年前から不思議なシンクロがたびたび起きるので、もう流れに逆らわず抗わず作為せずに過ごしていこうと思いました。
生来の悲観的な気分にたびたび押しつぶされそうになりますが、現実はそう悲観する必要もなさそうです。