日本が敗戦したことも知らされず大陸に取り残された住民のところへ、現地の人々が強奪にきてさらにソ連軍も侵攻してきて集団自決しかない状況だったそうです。
それぞれの出身県ごとに分けられた開拓団が、独自の判断で薬を使って自決を選ばざるをえなかったようです。
そんななか、ある開拓団は生きるためにソ連兵に助けを求め、強奪民を追い払ってくれた見返りに女性を要求され開拓団の大人たちが相談したすえ接待所を開設したそうです。
http://sharetube.jp/article/6971/
接待所に待機するのは10〜20代の未婚女性のみで、生きるために自分の娘を差し出す苦悩を抱える団員も多かったことでしょう。
そのお陰か、その開拓団は過半数以上の住民が生きて日本へ引き揚げてこれたそうです。
女性たちの犠牲で生き延びられた。
その集落の人々は今もそう思っているそうです。
戦後70年以上経てようやく当事者の女性たちが重い口を開き始めました。
やはり知っておいてほしい出来事なのですね。
遺族の一人が全員加害者であり被害者と語っていましたが、どんな状況下でも生きたいと願ったら手段は選べなかったのだと思います。
まだまだ知らない事実が多く、このまま葬り去られてしまいそうな歴史をどこかに記録しておくべきなのではと思いました。