ゴミだらけの実家で途方にくれて、もういるいらないの判断をやめることにしました。
考えながらの仕分けがことのほか消耗するので、例え新品でしまいこまれていた使えるものでも躊躇なく捨てていくと、父が勝手にゴミ袋から出して元の場所に戻します。
私が新幹線で通っているのはなんのためか理解してんのか⁈
と怒る気力もありません。また黙って袋に詰めてさっさと処分します。取っておく理由がわからない。まだ使えるとか勿体ないとかいって40年前に押し込まれたモノはすべてゴミになったのに。
そしてモノがありすぎるから、なくなってもどうせ気づかない。
部屋の四隅を塞ぐ家具を処分して母の身体介助がしやすくなりました。転倒しても何もないところだとケガもしにくい。
手放すのは結果自分のためなのに、どこまでもゴミに執着して危険な家で生活し続ける。
私の心がどんどん冷めていって「じゃそれでいいんじゃない。後は知らないけど」
高齢者虐待などの報道を見聞きしますが、一方だけが悪いみたいな表現もどうかと思います。虐待容認ではないですよ。なぜそうなるのか。
人の話を聞こうともせず、やってもらってることに感謝できなくて、作業の邪魔をされたら手も出ますよ。話せばわかるなんて嘘です。
長年の鬱積した気持ちの持って行き場がなくてそうなるのでしょう。