震災以後やたら絆という言葉が独り歩きしていました。もうかなり落ち着いたようではありますが。
おそらくそれまで意識することもなく生かされていたのに、多くの人が急に考えざるをえない状況に直面したからでしょう。
かくいう私も被災地宮城県の出身で、このときばかりは絆に助けられました。
これまでさほど、というより殆ど地元を大事に思ったことなどありませんでした。
たまたま転居が多く、いつも外から地元を見る機会がありマイナス評価をしていたせいもあります。
先日ある本で絆には、ほだし(足枷の一種)という意味もあると知り柵(しがらみ)に近いものを感じました。
そう、それは自由を縛るものにもなりうるということですね。
同じ文字で2つの意味があるなんて。
人と人との断つことのできない繋がりであり、かつ人の心や自由を縛るもの。まさに表裏一体。陰陽両方の意味があったのですね。
今のところ私のなかで地元の絆はほだしにはなっていません。
しかし江戸時代から続く家系は父の死後も維持管理・存続が難しいのが現実です。
先祖代々から託され受け継いだものはいかにして処分・シェアし利活用させられるかが肝と思っています。
これまでの経験値でしかるべきタイミングで上手く手放せるはずですが、そのための労力を想像するだけで心が折れそうな自分がいます。
その感情がすでにほだしなのかもしれません。