のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

行きたい場所へ行き、会いたい人に会うⅡ

f:id:nozosan-net:20160920143312j:plain泉岳寺の中は四十七士の墓地以外に一般の方の墓地もあり、普通の霊園と変わりません。ホームページで購入相談なども受付けしています。お盆やお彼岸、赤穂浪士の命日以外にお参りしてるのは殆ど忠臣蔵ファンと思われる人で、静かでこじんまりとしていました。お庭には水琴窟があり心が穏やかになる水の音が響いていました。

 

ひととおり回ってから学寮と呼ばれる建物に入りました。予約自体ないので特に難しい受付けもなく、その日の資料が渡されて席に着きます。受付け横のテーブルにお茶がなみなみ入った大きなやかんがあり、紺と白の水玉模様の湯飲み茶わんに自分で注いで飲みます。周囲はやはりシニア層が多く中には大学生風の男子もいました。

 

その日は「寒山詩」という作品で早稲田大学でも教鞭を取っておられる須山長治先生の講義でした。大人になってから漢文の授業など受けたことがないので緊張しました。しかしこれは習い事ではなく、ただ好きだから聴講に来てるのだし気楽にいこう・・・と気を取り直しました。

 

先生は横長の歴史年表を見るよう指示されました。日本と中国の歴史が上下に並列されていて、日本の縄文時代は中国では既に「夏」という国家が成立していたことがわかりました。その後、殷王朝と周王朝の系図を見ながら説明が始まりました。時代背景を把握できてないと内容を理解できませんから。しかし私はこの時点でもう既に躓いていました。年表によれば寒山詩は唐時代の後半に書かれたようです。

 

荘子、送終を説きて

天地を棺槨と為す

吾の帰すること 此に時有らば

唯だ一番の箔を須いん

死して将に青蝿をかわんとす

弔らうに白き鶴を労らわしめず

首陽山に餓えて著らば

生きて簾く 死しても亦た楽し

 

<解釈> 

荘先生は葬式について説かれた

天地を棺とする

私がここで死ぬ時になったら

わずか一枚のスノコがあればよい

死ぬにあたり青蝿を養い飼う(青蝿は腐ってゆくものに群がる)

白鶴にわざわざ弔いをせなくてよい

伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)が隠棲し餓死した山西省、首陽山

彼らのよう廉潔・潔白に生きれば、死ぬのもまた楽しい

 

うう~ん、わかったようなわからないような(笑)

私が要約するとおそらくですが

荘先生は葬儀のやり方についておっしゃった

天地を棺とすればいいよ

私がここで死ぬ時がきたら

たった一枚のスノコだけでよい

死体には青い蝿(青っぽい銀蝿のこと)がたかるだろう

白い鶴に弔ってもらわないくていいよ

首陽山で餓死した伯夷や叔斉のように

清く正しく生きれば死ぬのも怖くはない   という感じでしょうか?

 

更に要約すれば「大袈裟な葬儀などしなくていい。スノコ一枚敷いてくれれば銀蝿がたかり朽ちてゆくだろう。」でしょうか。これは現代の華美な葬儀を揶揄しているようにも取れますね。唐の時代からそのような風習だったのでしょうか。でも古代では肉体が再び生き返ると考えられていたり、あの世でも困らないような副葬品を一緒に埋葬したり、ピラミッドや古墳や始皇帝陵などに見られるように国が違えど亡くなった方を大切に送る儀式はあったようですね。もちろん身分の高い人に限られるでしょうけれど、後世に発掘されて当時の文化を紐解く鍵になっていることに違いありません。

 

その日は他に何首か解説がありましたが、慣れない場所で日頃使わない頭を酷使した私はすっかり疲れてしまい、駅前のこじゃれたカフェで和スィーツとコーヒーを戴いて釣瓶落としの夕暮れのなか足早に帰宅しました。あたりはもう金木犀の香りが漂っていました。