のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

介護等級

アルツハイマー認知症の母が初めて検査~診断受けたのが2009年1月でした。まだ本当の「初期」といわれる時期で、日常生活に重大な支障をきたすほどのミスはありませんでした。本などでよく見るように同じモノのだぶり買い、買ってきたこと自体忘れる、だからまた買う、お金の計算ができなくなり買い物のたびに紙幣で支払うので財布の中や引き出しが小銭だらけ、玄関の鍵をなくし家に入れない、帰宅後さっきまで持っていたかばんをどこに置いたかわからなくなる、テレビの出演者を「この人知ってる~」という、金庫の鍵を何度もなくす、もともと料理をしなかったのでレトルトの鯖の味噌煮が寂しくて、そこへレトルトのおでんを足してカサ増しする・・・枚挙にいとまがありません。

 

更年期頃から嫌なところばかり目につくようになった母を避けて暮らすようになった私は、長年連絡も断っていたので「老化のせいだろう」と敢えて認知症の可能性を打ち消していました。厄介な脳の病で完治はしないとぼんやりわかっていたし、わざわざ検査して認知症確定したくなかったのです。けれど病気関連の連載をよく読んでいる父が受診を提案して2008年の年末に予約をして年明けすぐの検査になりました。以前も書きましたが近くの認知症外来にCTやMRIの機械がなく、紹介された病院で撮影しその画像を担当医に読んでもらうという段取りでアルツハイマー認知症と診断されたのです。そこからアリセプトという認知症の進行を緩やかにするお薬を処方され毎月受診する流れになったのですが、いくら勧められても父は介護サービスを使いたがりませんでした。認知症の進行を遅らせたければ薬だけでなく、手足の機能が衰えないためのリハビリ体操やレクリエーション、遠足など多くの人と接して刺激を受け楽しい時間を過ごすことがかかせません。

 

しかし介護サービスを受けるには主治医の診断書を添付して、役所の包括支援センターに申請し「介護等級」というものを第三者の視点で決めてもらわなければなりません。申し出から等級(その人の状態、なにができないか、どんな助けが必要かなど)が決定するまで、どれだけ急いでも一カ月ほどはかかるようです。迷ってぐずぐずしている一カ月なんて本当にあっというまです。ウチの場合は初動を逃しアリセプトを飲んでごまかしつつかなりの日数が経過してしまいました。私も千葉に転居しその後東日本大震災が起きて生活が混乱し、父が認定だけ貰っていたことも知らずにいました。

 

等級が確定してもどんな内容のサービスを利用するのがよいか、ケアマネージャーと相談して「ケアプラン」を作成しなければサービスを受けられません。プランもないのに思いつきで急に今すぐにはできない仕組みなのです。「前もって」「双方合意」してないといけないんですね。毎月ケアプランに署名・捺印もしますし。私が知らないうちに「要介護1」になっていた母ですが、権利行使しなければなんの効力も発揮しません。当時の若い担当ケアマネージャーが何度か説得してくれて、しぶしぶ週一回だけお試し通学するまで漕ぎつけました。それも朝夕の送迎を父が自分でしていたので朝9時前に送っていき夕方4時に迎えにいくのは近くても案外面倒なのでした。

 

若いケアマネージャーは更に父を説得します。「デイサービスの日数を増やしましょう」当時要介護1でしたが、年一回の介護等級審査会なるものにかければ等級が進むのは明白でした。そうなれば使えるサービス内容や時間も増えるし、母の場合は「重度精神疾患自立支援医療」という「医療通院」扱いで通えるので日数を増やしてもさほど負担は増えないのです。ではそれに伴う送迎はどうするか?施設の名前入りの送迎車だとご近所に通所してることが知られてしまう・・・このごに及んでもまだつまらない世間体に囚われている父でした。知られたくないから自分で送迎していたわけで、けれど回数が増えれば自分の負担が増える、困った。するとケアマネージャーは名前の入っていない車で来ますよと言ってくれたのです。そこで初めて送迎もお願いすることになりました。そもそもつまらないプライドで介護サービス利用が遅れたために徘徊や転倒事故などさまざまなアクシデントに見舞われたのに、まだご近所の対面などどうでもよいことを気にする愚かな父でした。

 

介護は一人で解決癖のある人ほど潰れます。上手く介護生活を回すには周囲に委ね頼ることを身に着けないと虐待や殺人に発展します。特にヘルプの出し方のわからない男性ケアラーには、おせっかいなぐらいに注意を払わないと共倒れになる危険性があります。地域から孤立し困っていることを正直に話す習慣のない人は急に変われません。もし近くでそんな人がいたら気軽に声がけしてあげてほしいのです。