のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

認知症の人は災害弱者です

f:id:nozosan-net:20161023150531j:plainまた地震が頻発しています。以前も書きましたが、実家のある宮城県東日本大震災の被災地でかつ認知症の母が暮らしています。

 

もう5年以上経過して目に見える部分の復興は進んでいますが、いまだにターミナルでもあるJR長町駅前はタワーマンションと仮設住宅と再開発地が一緒くたになっています。

 

2011年3月11日、私は千葉で大きな揺れを感じ職場のテレビをつけると震源宮城県と映っていました。急いで帰宅して固定電話にかけると母が出て父は買い物に出かけているとの返事でした。認知症ですから、まだ揺れているのはわかりましたが状況が掴めません。

 

一旦電話を置いて、父が帰宅した頃合いを見計らって電話してももう繋がりませんでした。何度も何度も固定から携帯から、外に出て公衆電話から繰り返し繰り返しかけ続けました。ニュースでは津波や火災の甚大な被害が流れてきます。

 

当時、離れて住む両親は携帯電話を持っていませんでした。そして夜寝る時は固定電話を電源から抜くという、ありえないほど愚かなことを平気でしていました。

 

よく災害など起きてからでないと対処できないことは、不安を先取りしても仕方ない・・・などといわれています。確かにその通りです。起きてみなければ想定した震度や液状化など役に立たないでしょう。

 

災害伝言ダイヤルもありますが、こちらがメッセージを入れても相手が聞く気がない、その存在を知らないのですから役に立ちません。

 

認知症の家族を抱え在宅介護しているのですから、連絡の取れる人であることは周囲の人々に対して最低限の礼儀ではないでしょうか。一人で介護しているつもりになっていても、包括支援や保健福祉課の職員さん、介護施設のスタッフさん、ご近所さんなど多くの人に気遣われているのです。

 

震災発生から4日過ぎて地元消防団の友達に家の様子を見に行ってもらい、両親の無事を確認しました。友達の携帯にようやく繋がったのでした。それにしても私に電話をしようとも思わない、親のその感度の鈍さに再度呆れました。

 

固定電話を夜に切って寝る、携帯はわからないから持たない。メールなにそれ?助かりたければあらゆる通信手段を持てば、家族以外の誰かに繋がって見つけてもらえるのです。

 

わからない、面倒は怠慢以外のなにのものでもありません。命が惜しければ覚えるよりありません。助けてくれるだろうなんて、災害時そんな余裕はありません。私が介護者の集まりでもうるさくいうのは、こういう経緯からです。

 

自助、共助といわれて久しいですが「連絡取れなくて助けられなかった」といわれないためにも、まず自分でできる備えをしてみてはどうでしょうか。