新幹線で毎月通ってガラクタだらけの実家片付けをしながら、アルツハイマー型認知症の母の介護を並行してやっていました。(介護は継続中ですが、ゴミ屋敷は去年卒業しました)
とうに役割の済んだ数々の不要品、壊れた家具家財を前にただただ立ち尽くすばかりの年月を送り、思い入れがあって高いモノを買っても結局最終的にはゴミなんだな・・・と虚しい気持ちになることがたびたびありました。
田舎の広い家はいくらでも収納スペースがあり、足りなくなると増築までする愚かな親ですから、二度と日の目を見る機会のないガラクタをどんどん押し込んで開かずの間になっている部屋がいくつもありました。
一度押し込んでしまうと、あったことすら忘れてまた同じものをいくつも買ってくるので、似たようなガラクタが山のように出てきてうんざりするのでした。
そして昭和の人はモノを処分することができない。壊れて汚れて不具合があってもう使えなくなって新しいモノを買ってきても、前のモノを捨てずになんでもかんでも収納スペースにしまい込んで、何十年も経って処分代が有料になってから片付ける人に負債を押しつけて平気です。処分代を払うのすら嫌がります。
うちの場合はストーブ、固定電話機、書類キャビネット(一般家庭でそれだけの書類があるの?)照明器具、プラ素材のバスケット(洗濯物を入れるのに使う)プラ衣装ケース、調理器具、紙の手提げ袋、包装紙とリボン、編み物道具(完成させたのを見たことがない)他にも様々ありえない量でした。
45㍑の指定ゴミ袋に入らず、処分するには解体するか、業者さんに予約するも父が勝手にキャンセルして元に戻したり遅々として進みません。処分まで考えた買い物がそもそもできない昭和脳の高齢者の後始末をしながら、怒りの感情しか沸いてきません。
「もう必要ないから手放す」という簡単なことがわからない人に対応していると、消耗するばかりでメンタルが病んできます。
要は「変化を嫌って」いるだけなんですがね。不自由で不便な慣れた生活を選ぶという愚かな判断をしているだけなのに、まともに取り合うのが間違っています。
手放すのは嫌、処分代を払うのも嫌
じゃ現状維持で、足の踏み場もない家で在宅介護するんですか?っていう話です。