起きてもいないことをわざわざ先回りして不安になりたがります。(杞憂ともいいます)
これはもともとの性格と、同じような考え癖のある母に繰り返し何度も言い聞かされて育った影響もあるようです。
ものごとは捉え方次第でどうにでもなるのに、世界は酷い出来事や人ばかりで、常に自分は被害者であるという思い込みを刷り込まれたらたまったもんじゃありません(笑)損な考え方です。
なぜそんなに不安になりたがるのか。
母は幼少時、両親の弟夫婦の家に養女に出されました。私が祖父母と思っていた人たちは母の叔父夫婦でした。
とても母を大事にしてくれていて当時の田舎では珍しく、仙台市内の私立の中高一貫校へ通わせたりしていました。
けれど無条件の愛を母に与えることはできなかったようです。手放しで愛される経験のなかった母は、私にも自分がされたような愛し方しかできませんでした。
生きてるだけでいいのよっていわれてみたかったなぁ。
いい子でいなければ見捨てられると本能的に悟った私は、常に「こういう振る舞い・言動だとママに大事にされる」点をよく理解していました。
なので常に本心とかけ離れた言動・行動ばかりしていました。
すると自分が本当はなにが好きでどうありたいのかわからなくなっていきます。評価基準が常にママだからです。
もっともあちらはまったくの無自覚なので、私がそこまで深刻だったなど想像だにしていないようでした。
よく杞憂に陥るのも、こういう振る舞いだと見捨てられ大事にされない→孤立するという図式が頭の中で出来上がっていたから。
現実は自分の意思意見をきちんと表明して、無理に迎合する必要などないのだけれど、なかなかできなかったんですね。