檀家になっている寺院へ納骨やおつとめの打ち合わせに行きました。
夏に妙心寺の夏季講習会に参加した旨お話すると、やはり花園大学出身の住職との会話も弾みます。
座禅の時間は頓知の問いを考えるための時間らしいです。
犬に仏心はあるのか?
松島湾の海水をここで飲み干す方法は?
富士山をこよりで結べるか?
答えはあるともないともいえないようです。
修行一年ですぐ答えを出せる修行僧もいれば、十年がかりでもわからない修行僧もいるとか。
どの瞬間に悟るか人それぞれなようです。
葬儀のときは、我々の身体は借り物で父はそれを返却して魂だけになったのだというお話がありました。
以前からそのお話は聞いていて、だからなのか常に私に寄り添ってくれている感覚があるのかもしれません。
自宅と斎場で二晩添い寝しましたが、久しぶりに一緒に休めてよかったなぁと思いました。
脱け殻の父でしたが、まだ魂がそこここに感じられました。と勝手に思っています。
今まではご遺体と添い寝するなど怖いと思っていたのですが、広い自宅で二人きりで隣に布団を敷いてたくさん話しかけました。
これまでとなにも変わらない時間でした。