たまたまテレビで認知症カフェの特集をしていたのですが、昔はこんな場はありませんでした。
介護は家族で、しかも長男のお嫁さんが耐え忍んでやるというものでした。そして文句をいってはならないという不文律。
母も例外なくその一人で、自分の両親と義両親をお世話して見送り、やれやれと思ったところで認知症を発症しました。
耐え忍んで在宅介護したらご褒美があるなんて嘘ですよ(笑)
自分の意思でやりたいことや行きたい場所や会いたい人に会えなくなってから利活用のしようのない田舎の土地・家屋をもらってもどうしようもないですから。
そこに自由はありません。
今、我慢すればこの先になにかあると思いたい気持ちは重々わかりますけどね、多分ないですよ。
あっても「よくやったね、頑張ったね」等のねぎらいの言葉であって、心まで満たされるかどうかはわかりません。
母はよく自分の不在中になにかあったら非難されると考えていたようで行動を制限していました。
好きな絵画教室なども数時間で帰宅できるものですから、たいした遠出ではありません。
本当はスケッチ旅行とか、気の済むまで美術鑑賞などに出掛けたかったのでしょう。父と一緒だと急かされて楽しめませんから一人で自由に過ごせる時間を確保するべきでした。
私も周囲もそこまで配慮できませんでした。
今、当時の母と同じ立場になって、制約だらけの介護生活などメンタルがもたないのが目に見えているので好きなように過ごしています。もちろんやるべきことはやったうえでですが。
結局よく思われたくて無理しても破綻するんですよ。