周囲との比較で満足を得るもの、具体的には所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家や車などを「地位財」
他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるもの、健康、自由、愛情などを「非地位財」とよぶのだそうです。
そして地位財の幸福は長続きしないのにたいして、非地位財による幸福は長続きするということです。
地位財は手持ちの時間を使って(犠牲にして)ある程度まで手に入れられますが、それと引き換えになにかを失っているかもしれません。
同じような価格の持ち家や車、どこまでも広がる郊外の住宅地など見慣れた景色が思い浮かびますね。
それぞれの家庭でなにかしら抱えているものですが、コマーシャルで見るような仲良し家族であることが前提です。
ときおり凄惨な事件が報道されますが「やはりどこの家でもいろいろあるんだな」というのが正直な感想です。
(そういう環境で暮らす人とお話したとき、長年夫の浮気に悩んでいると打ち明けられました。地位財優位だとそれも受け入れて周囲と横並びで暮らさなければならず、なかなか苦しそうだなと思いました。本人がそれでいいならいいんですがね)
いっぽう非地位財は数値化できず、それこそ人によって異なるので比較のしようがありません。
しかしまわりと同じような家や車がなくても収入が少なくても、気の合う、信頼できる人々に囲まれ無理に背伸びせず自分に正直に生きて健康で幸せそうな人をたくさん知っています。
私の周りにはそういった良質な非地位財を持っている人がたくさんいて、一緒にいる私も幸せな気持ちになります。
年齢を重ねて私自身も非地位財の重要性とそれらがもたらす充足感にようやく気づきました。
これは地位財の否定ではありませんよ、念のため。
母の遠距離介護をするにあたって最初から与えられていた非地位財に照明が当たり、それらを活用し甘えることで生かされています。
偉そうに2拠点居住などと語っていますが、たまたま非地位財を多く持っていただけのことです。