母がお世話になっている施設は利用者さん8人ぐらいずつのユニットになっています。
ユニットには名前がついていて、母のいるところは「すもも」と名付けられています。
そのなかに面白い利用者さんがいて、1人は93歳の男性で中国東北部の満洲で日本軍の兵士として活躍し帰還された方です。
酸素で吸入していて、いつもう〜う〜唸っていますが、頭ははっきりとして計算ドリルなどしています。
おやつの時間になると「わだす、おがね払ってんのすか?食べでいいのすか?」と訊ねる義理堅さです。
私の身内にも満洲からの引き揚げ者がいるんですよ、と話しかけるととても嬉しそうに聞き取れない言葉で当時の自分の階級(兵士のランク)など説明してくれます。
以前、音楽療法の時間に面会に行ったとき軍歌を歌うシーンがあり歌詞を見ずに歌えていました。
すごいですね、当時の記憶が薄れることはないのですね。
もう1人は青島生まれの女性で母の席の真向かいに座っていて、いつも母の様子をさりげなく気遣ってくれています。
青島の日本人学校に通っていて現地での楽しい思い出や、敗戦で帰国するさいの混乱(米軍が船を出してくれた)その後各地を転々として現在に至る経緯を話してくれます。
このように第二次世界大戦のリアル体験者のお話を聞ける機会はなくなりつつありますから、貴重なタイミングを逃さないようにしています。
歴史の本などで知っているのは編集されたほんの一部でしかなく、私の両親も戦争経験者ですが戦地へ行ったわけでもなく疎開したこともないので捉え方が異なります。
こんなふうに至るところに学びの種は落ちていて、誰かが拾ってくれるのを待っているのかもしれません。