10年も介護を頑張ったじゃないかと自分で自分をねぎらうも遠い昔の嫌な記憶が蘇ってきたり、私のことがわからなくなった母でも、もうお世話できなくなる寂しさもあり複雑でした。
父の葬儀から1年経たずにこの日がくるなんて思いもよりませんでした。
母は施設のスタッフさんとも打ち解けていたし、このままずっと穏やかな日を送ってほしいと願っていました。
その反面、緊急連絡がいつ入るかわからない緊張感からもう解放されたい気持ちもありました。
私が想像していたより身元引き受け人というのはシビアなものだったのです。
これまでは父が対応してくれていたから、私は通いで身の回りのお世話をする程度で済んでいたのでした。
母は私の限界を察知していたのか、お盆の中日に体調が急変しそのまま寝たきりになりました。
治療はできないけど延命するかどうか訊ねられ、きちんと話し合ってはいなかったけれどしない方向で合意しました。
それが自然に抗わず一番いい方法じゃないかと無理なく思えました。
父の担当医、検死をしてくれたドクター、母の施設へ回診してくれていたドクター、みんな知っている病院で過ごすことができました。
霊安室から出るとき院長も主治医も病棟ナースも事務方も見送りしてくれて、いい場所で最期を迎えられてよかったと思いました。
「お母様、頑張られましたよ、穏やかでした」
同時に私の遠距離介護生活が終わりました。